ほぼ毎日更新するはずだったログなのに、超たまに更新。
<< September 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています




タケムラログ終了、移転。
タケムラログは本日で終了し、新たに雑考へ移転します。

2004年から2008年までやっていた百足館通信の記事と、
このタケムラログの記事を統合しました。

とはいえ、宝町通信(仮称)でも、写真とかは全部現在のタケムラログや百足館からのリンク表示になるので、これまでの旧ブログも置いておかないとダメなんですが、なにはともあれ今後このブログでの記事の追加はありません。
まーまだ名前もデザインも色々変えると思いますが、とりあえず。

しかし記事を整理していたら、ほんま色々昔は書いていたのだねえ。個人事業を始めたら昔のように自由に書けなくなってしまったんですが、やっぱ書かなくなった分、考えることも減ってるんかもなあとか思ったり。




阿波踊りとDNA


昨日、はじめて阿波踊りを見た。
ひとことでいえば、すごい。
そして、懐かしい。

おいらは、夏休みを子供時分は毎年島根の安来で過ごしていた。その夏のピークが、安来の商店街で開かれる月の輪神事というお囃子の響く静かなお祭りだった。東京から高知へ戻ってからも、なんかこの地味な祭りが好きで、よさこいを取るか月の輪を取るかで悩んだ覚えがある。近所のお寺では盆踊りなんかもあって、踊るのは嫌いだったけど、少し高い櫓から太鼓が鳴り響き、櫓の上から電球の線が四方にのびるその風景は子供ながらに「既に懐かしく」、写真も残っていないのにはっきりとその光景が身体にインプットされている。


月の輪神事

笛や和太鼓、鳴り物などのお囃子。その音の心地よいこと。これはいったいなんなのか。その単調だけどどこまでも続く音色で、ジワジワと身体の奥の方からトランス状態にもっていかれる、この不思議な感触。
阿波踊りから戻ってすぐTwitterで感想を書いていたら、@midoryza が「東北のお祭をみても、同じこと思うた。よさこいのこと。やっぱり生のお囃子の 音には本能的に反応してしまうね。日本人にとってのお祭の意味をいろいろ感じる。ほんで阿波踊り観にいきたい!と思った。よさこいの自由さは、土佐っぽいけどねぇ。」とRTしてくれた。
阿波踊りを見て思ったのは、「これは祭りだ」ということだった。高知でいえば夜須の盆踊りにこの成分は超色濃く残っているけど、お盆のこの時期に、何もかも忘れて(忘れさせられて)その音色に踊ったり、ただ心躍ったりすること、そのこと自体が祭りなんじゃねーのかと。夜須の盆踊りは会場が新しい公園になってしまって情緒がない感じにはなっているけど、盆踊り→花火という黄金コースは、まさにお盆の夜の「定型」のような気がする。
まあこれは、自分の安来でのお盆の体験も少しは関係しているのかも知れない。月の輪神事では、たぶんそれと同じ日に花火大会と灯籠流しがあった。対岸の米子の町の灯で照らされてその山容がくっきりと浮かぶ十神山と、その麓に広がる小さな港。球数控えめの花火は中海を照らし、幾つもの灯籠がその中海をプカプカと流れていく。お囃子と花火、灯籠流し。単調であったり静かであったりするけれど、その光と音の眺めっていうのは、10歳になるかならんかの子どもにとっても、なんか不思議な体験であり、なぜかいつまで経っても忘れられない風景になっている。まあ実際には相当暇でだだをこねていたんだけど、midoryzaの言葉を借りれば「本能的な反応」が30年近く経っても鮮烈な記憶として残っているようにも思える。

 
夜須の盆踊り(2005)


高知市内で暮らすようになってからは、周辺で盆踊りがあったような記憶もなく、お囃子の音を体験することは滅多になくなった。県内各地の神楽や農村歌舞伎で聞く和楽器の音色は一度見るとしばらく忘れれなくなっていたけど、祭りのお囃子とはどうにも違う。灯籠流しも、高知に来てからは見た覚えがない。
高知のお盆の文化ってなんなんだろうなとも、阿波踊りを見てしばし思ってしまった。高知へ戻ってきて以来13年、夏といえば「よさこい」で来ていたけど、そういえば死者を思う夜はあんまり感じたことがないや、とも。

お囃子の音はDNAを刺激する。本能を刺激する。徳島人は、この4日間のために働いているとよく言うけど、ほんまこりゃそうだわと思った。死者のことを思って踊っている人はさすがに少ないだろうけど、この祭りがお盆にあるということの持つ「意味」というものも、見ていてそこはかとなく感じた。そして、祭りとはこういうことを言うんだっていうのを、演舞場ではない路上で踊り狂う連の人々(演舞場のそれとは明らかに違う、やんちゃな音楽と踊り)、総踊りの後に人目も憚らずに踊る女子たちを見ていて、思ったのだった。




yummydance「ドロップス」
久しぶりにyummydanceの広報制作係に任命されました。
今回はいつもとうってかわってのしっとりモード。
松山のダンススタジオMOGAで、7/17-18の2daysです!




石巻、福島。


石巻は、少し市街地に入っただけで目を背けたくなる状況だった。
だいぶ片付けも進んだと聞いて行ったのだが、実際に石巻駅前付近から川沿いにかけて裏通りはほぼ被災直後のままのような風景で、表通りの店もほぼ全てが「深刻な」という言葉では言い表せないような被害を受けていた。また、少し低い場所にある路地は今も乾いた泥に覆われている状況で、信号も動いていない様子だった。この先はもうとても行けない。まともに降りることもできず、すぐに仙台へ引き返した。この道の先には街が消えた三陸がある。



今回の小旅で訪ねた仙台、松島、石巻。
これが高知だったらどうなんだろう。若林区の風景は南国や高知空港付近の地理条件と似ているし、石巻は高知市や安芸市、三陸は須崎や中土佐などと相通じる。もし連動型になったりすれば、救援の手は今回よりもずっと遅い。どー考えても、静岡や愛知、大阪などを優先せざるを得ない。そして高齢化も今よりずっと進んでいるだろうから、逃げ遅れる人がたくさん出てくるのは間違いない。また、県内の土木建築業界も相当小さくなっているだろうから、復旧の人役自体あまり工面できないかも知れない。2030年頃の想定人口は、県がほぼ60万人、高知市が30万人。その高知市も中心部〜東部が石巻のような被害(地盤沈下と長期浸水)を受ける。


高知の人間に限らず、今回の震災の被災地は見ておくべきだと思う。今回の仙台訪問、実際問題化していた「ただの野次馬」と同じかもと思い、行くか行かないかちょっと迷った。だけど、やっぱり実際に見ないと分からない。また、こと高知だと今回の震災はあまりにも遠い出来事だ。むろん間接的な影響はあちこちに出ているけど、放射能も含め「実感」していないことには、なんか「始まらない」ような気がした。実際、見てはじめて、被災地の余りの広さも、本当に何もかも根こそぎ奪っていく津波というものも、やっと実感できたような気がする。実感してなんなんだ、とも思うけど、実感せんとどうしようもないと思う、妙な感覚。
新幹線では、福島や郡山を通った。通っただけだけど、車窓から見る福島の風景はきれいで、もちろんたくさんの人が行き交っていた。街の東には山並みが見えて、その先には原発がある。何も普段と変わらない風景なのに、小学校のグラウンドは掘り返さないといけない。その山の向こうには、家があるのに家に近づくことができない人がいる。原発に近いところでは、もう山の管理をしばらく諦めないといけないところもあるという。これはなんなんだ?と思いながら、流れる風景を見ていた。




仙台小旅


実感しないとわからない。
スマトラの映像ではいまいち映像を「日本へ置き換え」することができなかった(スマトラの低い堤防だから津波を防御できないんだ的な見立てをまず脳内でしてしまっている)。ここ数年時々やってきていた津波も川を遡上したり港沿いの街が静かに海にのまれるという程度の映像観であり、過去の須崎湾を遡上する津波映像や宝永町あたりの壊滅的な被害写真などを見ていても、やっぱり「戦後まもなくのことでしょ」的な、「現代日本での置き換え不能」な映像観で見てしまってきていた。
それが今回、これから来るであろう災害に対する想像力を「広げすぎる」ほど、膨大な映像量が流れてきた。そこへさらに原発という目に見えない災害が続き、もう自分たちの街にどの事象も置き換え可能な映像観がすっかりできあがってしまった(それはそれで過剰な防災対策も出てきそう)。
仙台を実際に訪れてみると、やっぱりテレビやネットで見ている印象とは全然違っていた。仙台の町はもう普段の日々を取り戻しているように見えた。だけど、松島に向かうために仙台東道路に入った途端、すぐ右手の車窓一面に荒野が広がった。左手は仙台の町並みが広がり、右手は荒野。あらゆるところが砂や泥に覆われ、車と瓦礫と砂防林の大木があちこちに流れ着いている。海岸沿いにあった集落も流されて、海岸まで見通せてしまう。瓦礫や車は撤去できても、この泥を除去して街や田んぼとして復活させられるのだろうかと思ってしまう。その後訪れた街でも然り。
遠く高知から働きながら支援できることなんて、やはりあまりにもなさすぎると感じるし、実際に家を失ったり仕事を失ったり家族を失ったりというのもテレビだけではイメージできなかったけど、実際にその風景を見てしまうと、どこから立て直していくべきなのかさっぱり見当もつかないし、また何かをしてあげられる術もないように感じてしまう。
実際に自分たちにその日がやってくるとして、支援される側になった時に必要なことってなんなんだろうか。少なくとも現段階では知人でも中嶋さんらの取り組んでいる薪風呂の支援や栗田さんのお茶の発送、畠中さんらのお米の発送などがあるが、そういう生活の根っこに近い部分の支援というのが一番うれしいような気がする。
しかしその先はどうしたらいいのだろう。本格的な生活再建、仕事再建はお金をかければ治るというものじゃない。またこればかりは他所の地域がどうしたところでなんとかなるものでもない。むしろ他所の地域や国外への産業移転が進んだり、想定以上の人口移転で計画がうまく進まない可能性がある。
いずれ高知の沿岸集落でもこうした風景が広がる日が来る。その時、高知の主力産業である農業や漁業の拠点はどうなるんだろう。高知県の主要政策である地産外商の根幹にも関わる大問題だ。そう思うと、ある意味で、一体何のための仕事をするんだろうとも思うし、また同時にだから仕事をするのだとも思うし、よくわからなくなる部分もある。
だけど、、、仙台の牛タンは本当に想像を絶する美味しさだった。松島の煎餅もうまい。津波で壊れた店の隣で、なんとか再開した店もあるのだ。