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手で刷る、手で漉く。その共通課題。

最近は活版室の見学の方も増えてきた。本格的に活版印刷の受付をスタートするのが1月末。現在はその下準備として、技術と機械のパワーアップが続いている。

んで、竹村活版室には手キンという、ひとまわり大きな手押しの活版機が到着。これまではアダナという小さな活版機でやっていたのが、この手キンの導入でだいぶ進化した。鉄筋ラウンジ工作所謹製の台もいい感じに出来て、これまで事務机の上で無理矢理やっていた作業もスムーズに進むようになった。


なんかウチでこうして活版印刷に取り組む嫁を観ていると、手漉き和紙の現場に立つ職人の友達たちとだぶる。



一枚一枚、

手で「刷る」か、

手で「漉く」か。



そのために、たくさんの準備すべき工程があって、守るべき技術があって、守るべき職がある。


和紙なら楮や三椏等の素材栽培にはじまり、皮はぎやへぐりの人役あたりまではある程度分業化している。それで、ある程度基礎的な処理のされた素材を購入して、そこからまた煮たりチリを取ったり色んな工程を経て(この工程は、先月4日間伊野で職人の友達にミッチリ仕込まれたので、ゆっくり書くつもり)、ようやく紙になる。

職人と話していて重大な問題となっていることを知ったのが、この素材供給部分の問題だ。楮農家は高齢化している上、へぐりまでの処理をする人も減っている。イベントで楮蒸しをしても黒皮をへぐる作業まではやらないので、実際にはメッチャ使える素材、ということにはならないらしい。


活版も同様。これも先月東京でオールライト工房の皆さんに東京の活版印刷屋さんや活字屋さんをたくさん案内してもらったのだが(これもゆっくり書く)、鉛を溶かして活字を作る活字屋さんは東京でも数えるほどになっているうえ、そもそも活字の原本ともいえる母型を作る人自体がほぼ無くなってしまっている。こちらはなんとか自分たちでも栽培できないことはない楮よりもある意味危険水域に達していて、あと数十年もすれば「活字」で印刷する活版印刷自体がなくなりかねない。

和紙も活版も、そうした伝統系の産業に共通する根深い問題を抱えているわけだ。


残念なのは、こういう活版や和紙をはじめとする伝統回帰の流れが最近はあるけれど、案外こういうのを「ただの流行」や「メッチャビジネス」でやろうとする企画屋が多くて、だいたいそういうバックボーンまでは考えていないことが多いことだ。「活字」自体はなくなってもしゃーないんちゃう?アートでいくしかないんちゃウ?とか言う人も会ったことがあるけど、それじゃあただの版画だ。また、薄利多売的な考え方でやっても、そもそもの活版文化の基礎部分を破壊することになりかねない。・・・てか、そもそも高知は手に職のない企画屋が幅を利かせすぎだ。活用方法の話をしてたら何でも守れると考えてるんじゃないか?まあおいらもそっち系なので恥ずかしいけどw


かつて和紙や活版が主役だった時代と違ういま、和紙も活版も原料から製品までの一貫する流れや工程を保持してはじめて価値があるのではないかと。和紙の原料が全部中国産で、活版の版はぜんぶ樹脂版とかで、なんていうのは、やっぱなんか変だもん。ふつうに。だけど、そんなふつうは、伝えようとしなければ誰も知らないまんまだ。そこにある価値をどう伝えるのか、というのはものすごい難しい。

守るべき技術と、守るべき職。

ちなみにこの手キン、刷ってみると文字の出方が全然違うので、名刺やショップカード、DMも出来のメリハリが全然違うのが良くわかる。特にスミがきれい。

んで、一個一個新しい印刷が上がるたび、その都度口角の緩み切った嫁を見ることになるのだ。






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